2007年3月16日金曜日

育児って自己犠牲だな

育児中は大抵どの家庭でも子供中心の生活になるであろう。同じ人間、ご飯も食べるし睡眠も取る。大人も子供もそれは変わらないのに、子供の希望がまかり通る。子供がワガママ、自己中心的なのに対して、大人はそれを許容できる場合が多い。が自己中心的な大人も当然いるわけで、そういった家庭での育児はどうやっているのだろうか。子供がワガママを言って、自分の希望を出してきた時、大人も負けじと自分の希望を出してくる。当然子供の希望を聞いてやるわけが無く、力関係からいって大人の希望が通るだろう。でもそれで良いのだろうか。子供の成長を考えた場合、どちらが良いのだろうと考えてみるが、成長に良い悪いに関係なく、大人が折れてしまうのが普通であろう。育児は大人にとって自己犠牲だな。

2007年3月14日水曜日

育児に求められる父親像

今育児に求められている父親像について考えてみたい。
昔の父親像といえば、「怖い」「偉い」「強い」といったものが多かったと思う。
しかし現代の父親像にそのようなものは少ないかもしれないし、また求められていないのかもしれない。

父親と母親はそれぞれ子供に与える影響は異なると思う。父親は強く、逞しくといったことに対する象徴的な存在としてあり、母親はさまざまなものを守る母性の象徴であろう。子供にとってもそういった存在でいることがよい影響をもたらすと考えている。

しかし近年、男女の差別を失くそうと、法律も含め様々な制度の改革が進められて来ている。子育てに対しても少なからず影響があり、父親だから母親だからといった区分けをしないような風潮がある。それは如何なものなのだろうか。元々持っている性が違うのだから同じに扱えないと思うが。

2007年3月8日木曜日

何歳までが育児なのか

育児と聞くと、小さな幼児を育てているイメージが沸く。「児」と言う文字が入っているのだからそれでいいんだと思う。でも「児」であるのは何歳までなんだろう。育児って何歳ころまでのことなんだろう。

育児の次には教育が始まるんだと思う。「幼児を育てる事」から「教え育てる事」へと変わっていく。では育児とは教える事は含まれないんだろうか。

小さな子どもに教え聞かせてもなかなかそれを守ることが出来ない事が多い。そもそも育児中であって、教育をする以前の問題だからなのか。

よく「3歳までが大事」と言われる。それまでに基本的な部分が出来上がるからであろう。となると「育児」は3歳までで、それ以降は教育が始まるということなのだろうか。

だとすると3歳までの「育児」の間は、教える事よりも育てることを意識した方が良いのかもしれない。喜怒哀楽いろいろな感情を味合わせたり、色々なものに触れたりして、今後教えられるものたちを受け入れる土台を作ることを考えた方が良いのかもしれない。3歳までに。それでよいのかな?疑問は残るが。